佐々木家のばあばが入院した話。
こんにちは。
子供たちのアレルギーが食事で治りました!
いまも三人育児に奮闘中の佐々木愛です。
火曜日にまたばあばが倒れて、救急搬送された。
一度は帰宅できたものの、どんどん体が動かなくなっていき、昨日、大学病院に入院した。
わたしは三日ほど、介護をした。
ばあばは話せるということ以外、その他のことはほぼなにもできなくなっていた。
二日目からはちょっと動かしただけでもいろんなところに強い痛みを訴えるようになった。
(↑あとでわかったけれど、諸事情でリウマチの痛みが昂進していたみたい)
もとケアマネージャーの、私の母が来てくれて、いろいろフォローしてくれて、ほんっっっとうに助かったのだけど、それでも夕方、母が帰ってしまうと、ばあばは私に身を任せなければならないわけで、
振り返ると、私のお世話は、気持ちばかり先走って、からっきしなっていなくて、
たとえば介助のときの身体の支え方とか、身体の拭き方の強さとか、コミュ二ケーションの仕方とか、今思うと、もう、ダメダメだった。とにかく加減が分からなかった。
それに、自分の家庭をついほったらかしにしたり、子どもの前で泣いちゃったり、そんな点もダメダメだった。
(ばあばに運んだ晩ごはん)
それでもまあなんとか、ちょっとはコツをつかみかけてきた?ってときに、
ある大学病院で見てもらえことになり、検査後、そのまま入院ということになった。
検査では脳に以前は見られなかった出血がみられた。それがもとで、身体の自由が利かなくなってしまったらしい。
(いま、ばあばの病室の枕元に飾ってある写真)
そんなこんなで、いま、ばあばがお隣にいない。
毎朝、子供たちの登園や登校を見送ってくれた、その姿がない。
私はことあるごとに、ダメダメだった自分のお世話を思い出す。
気付くと「ああ、なんであのときああやってしまったんだ」ってへこんでいる。
ただ、
こういう「なんでうまくやれなかったんだろう」ってとき、私を救ってくれる考え方があって、それは、「人はいつでも、実はベストをつくしている」っていう考え方。
あとから考えれば、なんであのとき・・・っていうことをしていても、そのときは、それ以外やりようがなかった、それがそのときの精いっぱいであり、ベストだった。だから、後悔してもしょうがない。そういう考え方。
それは事実だと思うし、その考え方は今まで、自己嫌悪や後悔をする私を何度も助けてくれた。
わたしはものすごく未熟だったけど、未熟なりにベストを尽くした、
それに、異性である主人がやるよりはばあばも気が楽だったはず、そんなふうに考えようとおもう。
願わくば、ばあばがもう一度帰ってこられますように。
それがもし、かなわなくても、これからのばあばが快適に過ごせるように、私たちが何ができるか、前を向いて考えて行こうと思う。