佐々木の義母が救急搬送された話。
こんにちは。
子供たちのアレルギーが食事で治りました!
いまも三人育児に奮闘中の佐々木愛です。
おとといの深夜、隣に住む義母の体調が急に悪くなり、救急搬送された。
ひどい眩暈と、動悸と、高血圧。
深夜に電話が鳴り、ばたばたしてしまったので、子供たちもみんな起きてしまった。
いつもと違うばあばに、みんなで話しかけ、救急隊の手当てを見守り、救急車が出発されるのを見送った。
幸い、それからすぐに、ばあばはもう大丈夫だと、同乗した主人から連絡があった。
寝室に戻って横になると、娘たち(小2と年中)が腕枕をしてと言い、その向こうから息子(小5)が、手を握って、と言った。
怖い、怖いと子供たちがいうので、
大丈夫、びっくりしただろうけれど、おかしなことは何も起こっていないよ、と言った。
だって、年を取った人の具合が悪くなるのはふつうのことなんだから。
ばあばはいつ何があってもおかしくないよって、ママが何度も言ってたの、覚えてる? でもあんたたちはそう思えなかったんだよね、
ばあばは今までもこれからもずっと自分たちのばあばなんだと信じてた。
でもそうじゃないってわかったことが、こわいんだよね。
そしてできるだけ穏やかな声で説明した、
ばあばはもう87歳で、それは日本女性の平均寿命を超えていて、最近、確実に弱ってきていること。
いつまたこういうことがあるか、わからないこと。
今回はすぐ帰ってこれそうだけど、次にこういうことがあったらどうなるか、わからないこと。
みんな涙ぐみながら、明日からばあばにもっと優しくしようと言い合った。
ばあばは、いろんな検査が異常なしということで、翌日の昼前に退院できた。
お昼は家に呼んで、煮ておいたうどんを、二人で食べた。
そして二時間ぐらいおしゃべりした。二人だけで話したのはすごく久しぶりだった。すっかり気落ちしていたばあばは、だんだん調子を取り戻した。
子供たちが帰宅してくると、ばあばは「子供たちにも迷惑をかけちゃったから、お菓子をたくさん買ってあげたい」と言った。「私はもう何をするのもおっくうだから、一緒に何もしてやれないし」と。
その言葉が胸を搗いて、「いいですよ、今日は特別ってことで」と言うと、とてもよろこんだ。
そして、ばあばと一緒に向かったコンビニから、長男が携帯で聞いてきた、
「ばあばがあれもこれもかごに入れちゃう。何個買っていいの」
「何個でも。ばあばが買いたいだけ買ってもらいなさい」と返した。
みんな上機嫌で帰ってきて、私がふだんまず買ってやらないチューインガムやら、きらきらした不思議な形のグミやらをはしゃぎながら食べていた。
たべもののやりとりをとおして、ばあばが元気になっていく気がして、
やっぱり、一緒に食べるっていうことは、その人を受け入れるってことなんだなと思った。
そして、もうちょっと近くまで、ばあばに寄り添って生きようかと思った。
「これからは、たまに、ばあばにおかしをたくさん買ってもらう日を作ろうか。
ばあばともっとご飯を食べようか。
ばあばの好きなとんかつ屋さんにも行こうか。今まではあんたたちのアトピーが出るからって、遠慮していたけど」
そんな話をすると、子供たちはとても喜んだ。ばあばが喜ぶねって、喜んだ。
みんな喜んでいて、幸せだなあと思った。
そのせいで娘たちのアトピーが出ても、この幸せは消えないだろうなと思った。