子どもが喜ぶ料理と母の愛、はむすびつかなくていいと思う。
こんにちは。
子供たちのアレルギーが食事で治りました!
いまも三人育児に奮闘中の佐々木愛です。
こんな活動をしていると、
アレルギーのお子さんを抱えたママさんに、食事のアドバイスを求められることが時折あります。
そして、アドバイスをしてみると、
「なるほど、和食が体にいいことはわかりました。
けれど、子供たちが喜ばないものは作りたくないんです、
子供たちは私の愛情たっぷりのゴハンが大好きなので」
と返されることが、これまでも何度かあったし、つい最近もありました。
たいていが、料理上手の、パーティ系料理を得意とするママさんです。
反論したことはないです。考え方は人それぞれ。
ただ私は異論をもっているので、それについて書いてみます。
意外かもしれませんが、料理が愛情と結び付けて語られるようになったのは大正時代です。
それ以前の料理はただの作業でした。
梅仕事、タケノコ仕事という言葉に表されるように、
畑から掘り起こしたり、釣ってきたりしたままのものを、
土間や台所で、食べられる状態にまで処理すること、それが主婦に求められたスキルでした。
調味料も調理方法も限られていて、向こう三軒両隣がほぼ一様、
そこに、調理人のオリジナリティや特別なスキルは要求されませんでした。
これが変わったのが大正時代。
栄養学が導入され、女学校で教えられ始めるとともに、
家庭の若い主婦を狙った雑誌が立て続けに創刊され、
「最新の栄養学を学ぼう」
「愛情をこめた栄養たっぷりの特別なお料理をつくろう」
「先進的な外国のお料理で家族を喜ばせるのが進歩的な主婦」
というスタンスが示されたのです。
この概念が今も私たちを縛っていると言えます。
もちろん、栄養という概念は大切です。
それをある程度コントロールすることも必要です。
しかし、忘れてはならないのは、
栄養学とは、他のさまざまな科学的な学問と同じように、常に未完の学問であり、
明日にも、昨日までの常識が塗り替えられる可能性があるということです。
この時代に、日本人の体格を欧米人並みによくするためにと、国の主導で油や畜産物の摂取が促されたことや、
「植物油はとにかく体にいい」という「リノール酸神話」が生まれたこと、により、
結果的に、アトピーなどのアレルギーが激増したのも、
この「栄養学至上主義」の流れの上に、まちがいなくあります。
この対極にある食事が、伝統食。
或る民族が長い年月をかけてたどり着いた食生活は、
完璧ではないにしろ、その地で出来得る限りの理想形に近づいていきます。
もちろんそこには風土的な限界があり欠点があり、
日本人について言えば、ながらく、おもにタンパク質不足だったわけですけれど、
だからと言って、昭和60年代以降の日本のように、
民族的な食習慣が崩壊(欧米化)するような変化は、いきすぎだと言えます。
だから我が家は取りあえず、
そういうことが起こるちょっと前の、
また、伝統食としての和食が抱えていた欠点がある程度改善された、昭和30年代の食卓を、日々再現し、
子供たちのアレルギーが出ない状態を維持しているわけです。
それにあたり、昔の主婦が土間や台所でしていた作業は、
企業さんとかスーパーさんとかが丁寧にやってくださっているので、
私のすることは、正直、あんまりないです(笑)
だから日々、15分ぐらいで食事の準備をし、
空いた時間を、子どもとの時間に使っています。
子どもの幼稚園バックを自作しないママは愛情がない、そんな見方が馬鹿らしいのと同じように、
子どもへの愛情を表すのに、手の込んだ料理は絶対条件ではないと私は考えます。
今の時代、子どもの健康を守るために必要なのは、食品を、加工品を見る目です。
食べたいものを食べたいだけ買えるようになったいま、
むしろその欲求を、外食・内食においても家庭の食卓においても、抑え、管理するスキルが不可欠です。
当サイトとしては、まず植物油、畜産物、砂糖を控えた食生活が大切だと考えています。
(添加物や農薬やその他もろもろを控えることに先んじてです)
子どもの味覚を軸に献立を組むと、ここがどうしても難しいのです。
母親なら子どもを凝った手料理で満足させなければならない?
そんなこと、ないですよ。
食卓は子どもの身体をつくるところです。
喜ばせるところではありません。
喜ばせたいならば、まず、子供に食前の運動させることをお勧めします。
子どもの心に寄り添う場所は、食卓以外にもたくさんあるのですから。