私は喫煙者です。(アレルギー関係なし)
こんにちは。
子供たちのアレルギーが食事で治りました!
いまも三人育児に奮闘中の佐々木愛です。
前回、自分がかつて禁煙に成功したことについて書いたら、
「喫煙者だったの? 意外!」
という反応を何件もいただきまして、
ちょっとそれについて書いてみたくなった、深夜10時です。
お暇な方だけお付き合いください。
■私は喫煙者でした
私はわりと若いころから喫煙者でした。
お酒もたくさん飲んでいたし、そうとう偏食でした。
かなり好き勝手に生きてました。
自分の感覚を、なにより大切にしていて、
わたしの心身は、私がたとえどこで何をしようと自分だけのものだという感覚でいました。
懐かしい感覚。
(写真はもちろん借り物です。笑)
ずっとこうかなあと思っていたけど、
主人に会って、結婚したり、子供を持ったりしてみたくなり。
自分だけのものだった心身が、誰かとの共有物になっちゃうっていう感覚は、
不自由でありつつも、
なんというか、私にとっては地に足の着いた窮屈さで、
おや、これも悪くないと、思ったことを覚えています。
で、主人は嫌煙家だったし、
さらに私たちは、結婚当初から子供を望んでいたので、
わたしは、結婚式の前日に一服したのを最後に、禁煙。
・・・となると、
わあ、もう、13年になるんだなあ!
■今後の計画(^^)
そんな話をすると、
「で、今はすっかり改心したわけね」みたいに思われそうですが、
私は、今でも本質的には喫煙者です。
というのは、煙草を吸っている人を見ると、おいしそうだなーと、思うから。
だからこそ、公園でママさんに
「喫煙者なんか死に絶えればいいのに」とか言われるとびくっとしちゃうんですよ(笑)
(その言葉に対するモヤモヤ感を綴ったコラム『煙草はもちろん、怖いけど。』はこちら)
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そして、このコラムに書いたように、
社会の隅へ隅へと追いやられつつある喫煙者よりも、
社会の真ん中でお菓子をむさぼっている子供たちの方が危険ではないかという意識は今も強くあります。
だって、わたしも、禁煙はみんなに勧められ、褒められたけれど、
禁・お菓子は、周りに白い目で見られ、子どもにも泣かれ、挫折してしまったし(笑)
禁煙した人が、とたんに(代わりに)お菓子を食べるようになる、とよく聞くのも、
それはつまり同じ「依存」もしくはそれに使い状態なのではないか・・・と思う次第です。
…話がそれましたが、
さて、本質的喫煙者たる私の、今後の計画としては、
いまや私は主人とともに、長生きしそうな食事をしているので(笑)、
このまま順当に行くと、たぶん、80代後半とか90代前半とかに、三つ上の主人が先に、
「お前のおかげでいい人生だった」
と言い置いて私を残して他界するでしょう、
そしたら私は、しばらく嘆き悲しんでから、
ひとり、喫煙を再開しようと思うんです。
50年以上の禁煙生活を破って。
そこまで生きればもう「煙草は長生きできないよ」なんていう茶々も入らないでしょう。
子供たちも自立しているはずだし、
もう後は好きなことだけをして楽しみたいですね。
「なんか面白い人生だったなー」って振り返りながら。
ああ、だけど、その頃、Marlboro、いくらになっているんだろう。
昔は200円だったけど。
それこそ、「本当に吸いたいときだけ」しか、すえなそうだなあ。