娘の顔のあざと、私の幸せの話。
こんにちは。
子供たちのアレルギーが食事で治りました!
いまも三人育児に奮闘中の佐々木愛です。
「うわ、大変、どうしたんですかそのお顔!
なんかにかぶれちゃったんですか?」
「あ、いえいえ、これは生まれつきのあざなんです。
今日は熱が出たので来ました~」
ある病院の、小児科の廊下にて。
聞いたのは、偶然会った私の友達、の友達で、答えたのは私。
そう、私の娘(次女、二歳)の顔の半分には赤いあざがある。
興奮していたり、今日みたいに熱があったりすると、いつもより赤く目立ってしまう。
私の返答に、そのママさんははっとして、それから、この世の終わりみたいな顔になり、
「すっ、・・・すみません!」と頭を下げた。
そして、別れた後に、その場に居合わせたママ友からこんなラインが。
「愛さん、彼女、愛さんを傷つけてしまったんじゃないかってすごく気にしてる。
謝りたいけど、よけい傷つけてしまうんじゃないかって悶々としてる」
申し訳なくなった。
だって正直そんなこと忘れてたし、
私は全然傷ついてなんかいないからだ。
■不安な一年
娘のあざについては、出生後すぐに、皮膚科の先生に指摘された。
それと同時にこういわれた、
「娘さんのように、顔半分という広範囲に赤いあざがある場合、
スタージー・ウェーバー症候群という難病を発症する可能性があります」
スタージー・ウェーバー症候群。
簡単に言うと、
あざっていうのは血管の束でできているんだけど、
その束が、表面だけじゃなくて奥にもたくさんあって、目の組織や脳を侵していた場合、
知能や、視力におおきな影響を及ぼすことがある。
その病気だった場合、だいたい一歳ぐらいまでになんらかの症状がみられることが多い。
てんかんの発作で発症することが多い。
・・・ということで、
娘は特に生後一年は要観察となり、
その間は小児科、眼科、皮膚科をなんども受診することになった。
私たち夫婦は(特にビビりの私は)、その一年を毎日、
発作が出ませんように
発作が出ませんように
と、祈るような気持ちですごし、
結局、娘は何の異常もないまま、一年を迎え、今は元気に二歳となった。
そして先日、主治医から、おそらくこの先何もないでしょう、というお墨付きもいただいた。
(そのへんの話は過去記「娘Mの顔のあざの話」をどうぞ)
神様ありがとう。
ほんとにありがとう。
私たち夫婦にはそれだけで十分すぎた。
■べつにいーじゃん!
だけどもし、この一年がなければ、私の気持ちも違ったのかもしれない。
「女の子の顔半分に赤いあざ」
っていう問題、単独だったら、
もっと深刻にその問題と向き合い、将来を悲観して落ち込んでしまったり、
昨日の病院でのママさんの言葉に、深く傷ついていたかもしれない。
同じようなことは、どこでもよく言われるし。
(ちなみに、娘のあざにレーザーはきかないもよう)
べつに私は、
娘のために強くなったとか、前向きになろうと誓ったとか、そういうんじゃないんだけどな。
「・・・あざ?
べつにいーじゃん! 赤いだけなんだから!」
それがほんっとに、今の本心なので、あらあら赤いわーと言われても、ええそうなんですよとしか思わないのである。
もちろん、私たち親がそう思っていることと、М本人がやがて自分のあざをどう感じるかは別問題だ。
だけど私たちの姿勢は、Мの姿勢にもいい影響をおよぼすと、私は思っている。
■神様ありがとう。
そして、そんなちょっとしたことをきっかけに、
私自分のこれまでの、
「こうなっちゃうんじゃないかなと不安だったけど、そうならなかったたくさんのこと」を思い出した。
若いとき無茶をして何度か死にかけたこと。
旦那と結婚するまでに、あれこれすったもんだがあって何度もあきらめかけたこと。
子どもが欲しいと思ったら、私が無排卵だったこと。など、など・・・。
今はもう、そんなことは思い出すこともなく、日常の中に埋没しちゃっているけど、
「今いる、この道」がひらけたときは、ものすごくうれしかった。
そんなことを考えていたら、特に何もしてないのに幸せメーターが上がった(笑)!!
神様ありがとう。
こんな場所まで連れてきてくださって。
それなのに、感謝を忘れててすみません。
子供たちにもうちょっと優しくします。
旦那にもうちょっとつくします。
自分には・・・もうちょっと厳しくします!(笑)