「愛情たっぷり手作り料理」に物申す。その1
先日、サイトを読んでくださっているママさんと、公園でお話ししました。
「佐々木さんの手抜き料理読んでると、ほっとするんだよね」
(↑例 手抜き料理、鯖汁)
「そう? ありがと、うれしいな。
ちなみに、どういうとこが?」
「私、料理が苦手だから。
正直、メニュー考えるのも、作るのも、毎日苦痛なんだよね。
だけどちゃんと愛情込めて凝ったもの作らなきゃ、って、ずっと罪悪感みたいのがあったの。
だけど、佐々木さんの料理見てると、手抜きの言い訳ができるっていうか・・・(笑)」
「あはは、そうだね。」
これ、実は、よく言われること。
「じゃあもっと気がラクになること教えるね。
『料理に手をかけるのが愛情』みたいな風潮、あるじゃん。
あれ、みんなが考えてるほど、古い考え方じゃないんだよ?」
「え? 違うの?」
「うん。実はすごく、最近なんだよ~(^o^)!」
■「土間」ってなんだ!
「土間、ってわかる?」
「土間? ああ、田舎にある。ご飯食べる部屋から、一段低くなってるとこ?」
「そうそう。あそこは昔のキッチンだったんだけどさ。
昔は、台所仕事を外と続いてる空間でやったわけだよね。
食材もって、玄関からは入らなかった。
それはなんでだと思う?」
「えーと・・・汚れるから?」
「そうそう。
食材が、かなり原始的な状態で持ち込まれたんだよね。
泥つきの野菜とか、掘ったばっかりのタケノコとか、さばいてない動物とか。
薪とかの燃料もそうだけど」
「ああ、そうか。
なんか食材がたくさん運び込まれるイメージがある。
しかもさ、冷蔵庫もないんだから大変だね」
「そうそう、
だから基本的に、食材が傷まないように一気に加工しちゃうんだよね。
実を外したり、干したり、塩漬けにしたり。
で、それを毎日、食卓に小出しにして消費していくの」
「うんうん、おばあちゃんちはまだそういうとこあるわ。新潟だけど。
そういうの、田舎では、梅仕事、とか、ゆず仕事、とかいう言い方するよね」
「そうそう、~仕事ってね。
それって、つまり『作業』ってことなんだよね。料理ではなくて。」
「あ~、うんうん、手伝ったことあるけど、わかる」
■料理は「作業」だった
「土間でやっていたのは、そういう作業。
何より、慣れと、効率のよさが求められる作業。
それから、ごはん炊き。
ごはんって言っても、いまみたいな白米じゃないよ。
庶民はそんなに裕福ではなかったから。
麦とか、雑穀とか、野菜とか、イモとか、いろんなものでかさを増やした混ぜご飯ね。
(玄米は食べてません)
あとはおつゆ。そのときあるものを入れて、澄まし汁とか、味噌汁とかを作った」
(↑明治時代の庶民の食事。写真は借り物です)
「それだけ?」
「うん。庶民は、貧しかったからね。
ごはんと、おつゆと、味の濃い加工品。毎日同じ。
たまーに、めざしとか。
(写真は借り物です。これはかなり贅沢バージョン)
日本人の庶民の食事は、つい最近まで、そんなものだったの。」
「そうか~。食べたいものが食べられたわけじゃないんだもんね」
「うん。食べたいものではなくて、そのとき食べられるものを食べていたんだよね」
「確かにそれだと、凝った料理なんか作る余地はないねえ」
「うん、そうだね。
それに、そもそもそんな時間がないよ。
だって、家電が何にもないんだからさ。
主婦は、火を起こして、ご飯作って、子守して、掃除して、川で洗濯やって、またご飯作って、お風呂沸かして・・・
朝から晩まで働きづめだよ。
しかも、農家とかの自営業だったら、仕事にも駆り出されるわけで・・・」
「なるほど・・・。
つまり、ご飯作るのは、ほかの家事と同じように、完全なルーティーンワークだったってことだよね」
「そーそー」
「じゃあそれが、ただの作業じゃなくなったのはいつなの?」
「昭和初期」
「・・・えっ、・・・最近じゃん!」
「でしょう?」
「で、それは、なんでなの?」
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