佐々木が長男の咳に久々にひびった話。
元喘息の我が家の長男、ただ今小1。
三年前に食事を変えて咳が収まって以来、深刻な症状はありませんでした。
風邪をひくと、咳が残ってしまうことはありました。
でも、食制限を厳しくすると治っていく感じ、をキープしていました。
・・・が、先日、ちょっとひびったことが!
■咳でしゃべれない!
夏休みに入ってそうそう、風邪を引いたP。
そして、咳がまた残ってしまった。
夏休みに入って、ケーキやら、外食やらがおおかったせいかも。
でも、パパと約束していた幕張メッセの恐竜展!は行かないわけにはいかない!
「いってきまーす! ゲホゲホ」
「行ってらっしゃい・・・」
不安げに送り出す私。
そしてその日の夜、
「ゲホゲホゲホただい・・・ゲホっ!」
オーマイガっ! ひどくなっている!
会場内をかなり歩いたのと、興奮したのが関係しているようだった。
そして、その夜、お布団に入って、おやすみなさいを言ってから。
「・・・ゲホゲホゲホ、・・・・・。ゲホゲホゲホ、ゲホ・・・ゲホゲホ」
「P、とりあえず座りなさい」
「うん・・・ゲホゲホ、ママ、ゲホゲホ、ちょっ・・・ゲホゲホ、つらい・・・」
喘鳴は聞こえないものの、普通にしゃべれないほどの咳。
ここ数年は、そんなことはなかったので、ものすごく動揺した。
探したら、三年前の咳止めテープがあったので、貼ってみた(真似しないでね)。
すると咳が止まって、眠ってくれたので、ひとまず安心した。
■薬でも、食事制限でも、治まらない。
翌朝、朝イチでかかりつけの小児科を受診。
風邪をこじらしてしまったのだろうと、咳止めが出た。
マイコプラズマもはやっているが、それならこんなに元気はないはずだからと言われた。
それから、薬を飲ませつつ、油と甘いものを絶った。
Pはおとなしく、出されたものを食べてくれた。
でも、四日たっても、咳は相変わらずで続けた。日中も、就寝前も。
快方に向かっているという感じはなかった。
テープがきいて、夜間は眠れているのが救いだったけれど。
そんなことは今までなかったので、どうしたものかと、戸惑った。
ただ、食事という面からやれることはやっている、という自負があった。
だから、あとは経過を見守りつつ、お医者さんに任せよう、と思うことができた。
そういうバランス感覚も、この数年で学んだ気がする。
代替医療に関わる親たちの中には、代替医療に傾倒しすぎて、子供を受診させないタイプがいる。
それは、医師の言葉を盲信するのと、本質的には同じことだと思う。
その二つは車の両輪だと思う。
私は子供たちのかかりつけ小児科医、K先生をふかーく信頼している。
■・・・おや?
そんな四日目のこと。
Pが夕方から寒い寒いと言い出した。
そこから熱が上がり始め、就寝前には40度を超えた。
・・・むむっ?
こんなに食生活を整えているのに、40度?
食生活を変えてから、インフルエンザにかかったとき以外では、こんな高熱は出ていない。
こりゃー、ただの風邪ではないのでは? という気がした。
ので、翌朝、再受診。
先生は「典型的な症状の出方ではないけど、マイコプラズマ肺炎かも」とおっしゃった。
けれどビビりのP、血液検査をかたく辞退!(笑)
抗生剤は安易に出せないとのことで、結果、引き続き様子見となってしまった。
翌日は平熱で過ごしたが、翌々日、また40度を超えてしまった。
変な熱の出方だ。咳も収まらない。
さらに、妹二人が同じ咳をし始め、次女も38度の発熱。
・・・むむむ・・・、やはりこれは・・・。
■再、再受診にて。
翌朝、三人そろって受診。Pは再、再受診。
ビビりなPの代わりに、次女Мが血液検査。
Pは胸部レントゲンを撮ってもらう。
K先生、「マイコプラズマだねー」
やっと確定した~!
頂いた抗生剤を飲ませたら、翌日には、明らかに咳が減った。
そして、飲み始めて四日目の今日は、P、小さな咳払いを一つしただけで眠ってくれた。
ちなみに、マイコプラズマは自然治癒するケースも多いらしい。
が、喘息もちの子は症状がひどくなったり、発作が誘発されたりするらしいので、注意が必要なようだ。
抗生剤の使用にも賛否両論があるようだけど、今回のケースでは服用のデメリットは気にならなかった。
ちなみに妹たちは、免疫が落ちついでに手足口病も発症。
長女は、兄と妹におくれて現在発熱中。
でも、みんなピークは過ぎた。
あとは治っていくだけ。
せっかくのパパのお盆休みが、どこへもお出かけできずに過ぎてゆく。
ご本を読んだり、ボードゲームをしたり、映画を見たりして、まったり、まったり過ごしている。
でも、こんなお盆休みもいいか、という気もしないでもない。
でも、お休みの最後の日までにはなおして、子供たちをおいしいものを食べに連れてってやりたい。
ずいぶんつましい食生活を続けさせてしまった。
わたしはいまくたくた。
そして、健康のありがたみと、平凡な毎日のすばらしさをかみしめているのであった。