今の小学生は挨拶もできない! ・・・かな?
先日、ちょっと面白いことがあったので、書き留めておきます。
わが長男(一年生)の学校では、毎朝、集団登校をしています。
長男を登校班の集合場所まで送っていくのは、主人の役目です。
しかし、先日は主人の出勤が早かったので、私が行ったんですが・・・。
■今の小学生は挨拶もできない!
登校班の集合場所には、低学年と思しき男の子が一人いました。
「おはようございます(^o^)」と挨拶をすると、
「・・・( ゜゜)」
・・・ん?
「・・・(゜_゜)」
目を逸らされたー! ガーン!
そのショックも癒えぬうち、もうひとり来たぞ! やっぱり低学年の男の子!
「おはようございます(^o^)」
「・・・(゜_゜)」
目を合わせてすらくれないー! 超ショック!!
そして息子含めた三人の男子は、そのまま登校してゆきました・・・。
これがなんか、とにかくショックだった私。
帰宅して、娘たちにご本を読んであげつつも、心が沈んでいるのがわかる。
それについて主人と話したくて、メールしようとしました。
「集団登校の子たちが挨拶してくれなかったよ。
今の小学生って、挨拶もできなくなっちゃってるのかなあ」
悲しい気持ちでここまで打ったところで、
・・・ん? と思った私。
■「今の小学生」は「挨拶もできない」?
私の 主人は、コミュニケーションのプロフェッショナル。
なので、私も日々、いろいろなアドバイスを受けては、その効果を実感している身です。
そんな生活がもう10年。
おかげで私も、自分でいろいろ気づけるようになりました。
誰もがそうですが、人間には、物事のとらえ方に癖があります。
そういう目でこのメールの文面を見直してみます。
そうすると、かなり私のフィルター(思い込み)がかかった文面だと気付きました。
1 「今の小学生」は正確でない。
私が会ったのは二人で、会ったのも今朝だけ。
それをもって「今の小学生」としてしまうのは適切でない。
他の子は挨拶をするかもしれない。
会った二人も、今日は何か気になることがあったのかもしれないし、いつもと違うおばさんが出てきてビビったのかもしれない。
2 「挨拶も(しない)」という言い方には、「挨拶すらできない、おそらく、それ以外の基本的なことも満足にできない」という私の思い込みが入っている。
しかし、その思い込みには根拠がない。
なぜなら、息子の友達にも、挨拶はあまりできないけれどいい子たちがたくさんいる。
3 「出来なくなっちゃってる」という言い方には、「世の中がだんだん悪いほうに行っている」という、私の思い込みが反映している。そして、その思い込みには根拠がない。
なぜなら、そんな漠然とした思い込みの確かさをデータ的に証明するようなリサーチを、わたしはしていない。
以上の事を踏まえて、正確を期して今朝のことを思い直すと、
「今朝、私が会った二人の小学生は、私に挨拶を返してくれなかった」となりました。
・・・あれ? 悲しくなくなったぞ。
そして、主人に伝える必要がなくなったので、メールを送信するのをやめたのでした。
■人は、見たいように世界を見る
人のフィルターは様々です。
私と同じ経験をしても、
「私のあいさつの仕方がどこか悪かったのかしら・・・」と思う人もいれば、
「近所のママたちが子供を使って私に嫌がらせしてるんじゃ・・・」と思う人もいれば、
「挨拶もしない子ばかりだ! 日本はどうなってしまうんだ!」とまで思う人もいるでしょう。
ちなみにこれらは上から、
「自分に対するフィルター」
「他人に対するフィルター」
「世界に対するフィルター」と分類されるらしいです。
そして、フィルターをもっていない人はいないとのこと。
人はなぜ、そんなフィルターを持ち続けてしまうのか。
それは、そのほうがラクだからです。
だって、たとえば「日本が悪いほうに突き進んでいる」なんていう事態がおこっているのなら。
悲しいことだけれど、もうどうしようもない。個人レベルができることは何もない。
だから自分には責任がない。悲しいけどね!
たとえばそんなふうに、その問題からひきこもることができるからです。
一時的には、楽でしょう。
けれど、それはいつか自分を縛り、新しい世界や、可能性を奪ってしまうかもしれません。
そんなことを知ってから、私は自分のフィルターを外す作業が楽しくなりました。
曇っているのは、自分の目であることの、なんと多いことか。
そして、問題に向き合うのは、時として、体力のいる作業でもあります。
でも、次はちょっと頑張って、あの子たちに話しかけてみようヽ(^o^)丿
ちょっと、ドキドキするけどね!