食事は楽しくなきゃダメか?
こんにちは。
子供たちのアレルギーが食事で治りました!
いまも三人育児に奮闘中の佐々木愛です。
ある日、小学五年生の男の子のママさん、Tさんとお会いしました。
ご自身も息子さんもひどい花粉症で、友達伝手に私のことを知ったとのことで、そういう場をいただきました。
一通り食餌療法の話をすると、しかし、Tさんはこう言いました、
「魚中心の和食ですか・・・。
残念だけど、うちはそういう食事は無理ですね。
食事が楽しくなくなっちゃいそうで。団らんは大切にしたいので」
Tさんはお料理が趣味で、得意料理は皮から手作りのラザニアだそう。
きっと毎日、とても美しく、にぎやかで、おいしく楽しい食卓を整えてらっしゃるんだと思います。
ママのお料理に舌鼓を打つ旦那様。おかわりする子供。盛り上がる会話。
たしかに素敵な光景です。ママさんたちの憧れですよね。
しかし、実は私は、この「食事は楽しく」至上主義にはあんまり賛成できずにいます。
■食事は食事の時間だけの問題じゃない
食事のとき、いただきます、を言いますね。
誰もが知っているように、これは、自分の糧となってくれた命への感謝を表した言葉です。
食べる人間は、食べ物を尊いものとして、自分をそれより下に置いて、手を合わせるんですね。
日本が経済的に豊かになるつい最近まで、食事は長い間、生きることそのものでした。
それが、飽食の時代となった今、「食べること」のイメージは「生きること」から離れていき、「娯楽」へと変わりました。
社会の変化で、家庭の主役が子供に変わり、
毎日、手の込んだ、見栄えと味のいい料理を作り、子供たちのわくわくを裏切らず、楽しませる、
そんなママさんが、すばらしいママさんなのだという空気に変わりました。
いま、日本人の多くが毎日口にしている食事は、食糧難の時代の、年に一度のお祭りの宴のような食事、あるいはもっと豪華な食事です。
たとえば、毎食タンパク質をたっぷり、なんていう食生活は、つい最近になるまで、どの民族もしていませんでした。王様とか貴族とかは、別かもしれませんが。
そして、私の子供たちは、昔の王族とまではいかないまでも、貴族のような食事を続けて、それぞれ、アレルギーにかかりました。
そんな子供たちを助けてくれたのは、魚中心の質素な和食でした。
そして、私の、食事に関する認識はずいぶん変わりました、
美味しいかどうか、きれいかどうか、楽しいかどうか、
そういった、首から上の楽しみを追求すると、どうしても、油、畜産物、糖分を摂りすぎてしまうのです。
その結果、アトピーや花粉症などのアレルギーをはじめ、さまざまな現代病にかかりやすくなります。
現代社会で、いろんな情報が誘うままに「美味しそうなもの」を食卓に上げ続けるのは危険なことだったのです。
食事を決めるということは、食事の時間の気分を決めることである以上に、私たちの将来そのものを決める行為なのです。
■わが家の食事
いまの私は、まず、子供たちに運動させ、おなかをすかせてもらいます、
人間は、お腹がすけば、たいていのものはおいしいと感じるようになるし、食べ物にありがたみを感じることができます。
また、胃腸が活発になり、消化が良くなります。
そして、旬の食べ物を、最低限のシンプルな処理をして出します。
食べ物の風味や、歯触りや、味を、しっかり味わってほしいからです。
同時に、それらの食べ物が生きていた様子に思いを巡らせ、感謝し、その感謝にふさわしいお行儀を以て食事してほしいと、考えています。
我が子たちのキャパシティを考えると、それらをこなした上で、「家族と楽しい会話で盛り上がる」までの器用さはありません。
話をすれば、噛めません。
話が盛り上がれば、箸が止まります。
身体や食器が、ジェスチャーとともに大きく動きます。食べ物が口から飛びます。
そのとき「楽しい会話」を優先しよう、というのが、現代の風潮です。
はっきりとは誰も言わないけれど、それを優先しているママさんが多いのが、現状です。
その風潮から降りてしまった我が家。
我が家の食卓は、ときに、沈黙が支配しています。
けれど、誰もそれを、気まずいとは思いません。よくあることですから。
そして、そんな食事がさみしいとも思いません、
だって、食事の時以外は、たくさんしゃべって、たくさん笑っていますから。
「さあ、おしゃべりはここまで。ご飯にしましょ。
私たちの健康な明日のために、感謝して、真剣に、たくさんの命をいただこうね」
このスタンスが、ゆくゆくは子供たちの健康を守ると、私は考えています。
・・・え?
理屈っぽいこと言って、毎日のずぼら料理を見過ごしてほしいだけでしょ、って?
うーん・・・そ、それもある!(笑)