玄米の漫画について。(ひとりごと)
サイトを立ち上げてから、いろいろとマンガを描いては掲載してたけど、
今後、マンガを描くのは、キンドル出版用、になるだろうなーと思う。
というのは、縦スクロールの漫画は、読みやすいのだけど、メディア(読者)をすごく限定してしまうから。
求められても、本という形式に落とせないのが悩みどころ。
だけど、 玄米のマンガは、サイトで描き続けて行こうと思う。
なぜなら、玄米については、私が手探りで検証しながら描いているので、全体をまとめて構成を云々、なんてことがまだできない。だから、縦スクロールの冗長な、際限ない感じがちょうどいい(笑)
それに、この検証には時間とお金(主に資料代)がかかる。
だから、もうライフワークだと思って、自分のサイトで、好きにまったりやっていこう、と思うから。
ちなみに、「なんでこんなことやってるの?」とたまに聞かれるので、ちょっとまじめに答えてみる。
つねづね私は、自分にしかいけない道をいくことが、まわりまわって人のためになったら素敵だなー、と思っているのだけど(笑)、周りを見渡した結果、どうやら、こんなトピックを追いかけているのは私ぐらいしかいないのだ。
(博物館の学芸員さんたちに変わり者扱いされたので間違いないと思う。(笑))
いや、正確に言うと、「玄米は伝統食じゃないよ。ヘイユー、まだそんなこと信じてるのかい」みたいなことを言っている知識人は、複数いる。
いるし、私もおそらくそこにたどり着くだろう(今のところ、しっかりした反証は皆無だ)。
だけど、私が言いたいのは、結論じゃない。
なんで「玄米が伝統食だ」なんて信じられるようになっちゃったのか?
っていう過程そのものなのだ。
その過程を追っていくと、玄米というトピックには、いろいろな要素がからみついてきたことがわかってくる。
憧れとか、政治とか、民族の誇りとか、宗教とか、利権とか、もう、そりゃーいろんなものが。
そんななかで、玄米という現象(だと、私は思っている)が、どうやって変化してきたか。
そして、どこに行こうとしているのか。
それをしっかり観察しとかないと、同じような過ちは、また、きっと起こる。
まったく別の領域で、まったく別の顔をして、まったく同じようなことが起こる。
そんな気がする。
だから、玄米という現象の変遷の軌道を、まったりとじっくりと、たどってみたかった。
そして、玄米に興味をもつ、普通の人、とくに子供たちの食卓をあずかるママさんたちに、観察してもらいたかった。
インテリさんに、だけじゃなくって。
それでマンガにした。
だから、最後までマンガで行きたい!
それでもママさんたちに「愛さん、あれは難しい!」と言われるのが悩みどころだけど(笑)。
(でも、インテリな肩書の方に「楽しみにしてます」と言ってもらえることが結構あって、それはとっても嬉しいのです(*^_^*))
・・・まあ、ホントのこと言うと、調べものが楽しくってしょうがないからやめられなかった。ってだけなんですけどね!(笑)
そんなわけで、玄米のマンガだけは、不定期に、忘れたころに描き続けていきます。
どこかの博物館や資料館で、ウハウハしている佐々木を見かけたら、生暖かい視線を送ってやってくださいませ~。
ひとりごと、おわりヽ(^o^)丿